自分が悪いかどうかを基準にすると余計な摩擦を引き起こす

随分昔の話ですが、電車遅延で出社が遅れたもののコンビニで買い物した袋を持ち、挨拶もなく憮然とした表情でそのまま着席して業務に入るというメンバーがいました。
そういうことが複数回あったため、二人きりになったときに「マネージャーに一言すみませんといってから作業に入った方がいいよ」とアドバイスしたのですが「僕は悪くありません」という回答でした。

私自身、遅刻に関しては、予定していた作業や打合せに遅れたというものでなければあまり指摘はしませんが、その時はお客様先の現場でお客様から「遅刻してあの態度はない」と漏らす人がいらっしゃったので話をしました。
あの時にもう少しきちんと言語化して伝えられたらと今でも悔やんでいる一件です。

「自分が悪いか悪くないか」という自分目線でみるのではなく、「周囲からどう見えているか」、「周囲に迷惑をかけてしまっていないか」という他人目線でみることが出来ていればお客様から「遅刻してあの態度はない」と思われることはなかったと思います。
また、電車遅延による遅刻について多くのマネージャーはわざわざ責めはしないと思うのですが、社会人として約束事を果たせなかったという結果については責任があります。
一言、添えるだけで印象が全く違うのに勿体ないなあと思うのです。

室町時代の能の大成者である世阿弥が残した言葉に「離見の見(りけんのけん)」というものがあります。
自身の目ではなく、観客の目で自分の姿をみること、客観視することが大切だということです。
自身の目では正面と左右をみることはできても後ろ姿をみることはできません。後ろ姿を含め、目に見えないところに至るまで身体全体を意識せよとあります。

人間である以上、私たちは自身が持つバイアスから完全に逃れる事はできませんが客観視できるかできないかで大きな違いが出てくるのです。
エンジニアの仕事に限らず相手の立場に立って考えるということはとても重要なことです。

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